【小説第5話】たぬきからの脱出
青い爪先がジェリーのひじの辺りをつつ、となぞる。
「たたたた、楽しいこと……?」
もはや頭の中はそればかりだというのに、白々しく尋ねるジェリーは勿体をつけているわけではない。ただ単に意気地がないのだ。
「――もう。しらばっくれてもだーめ」
舞はそう言って、甘えるようにジェリーに抱きついてきた。柔らかで温かな感触を肌で感じ、ついにジェリーの理性が決壊した。鼻息ではない温かいものが、たり、と鼻から垂れはじめる。
「きゃっ!」
いきなり鼻血を噴き出したジェリーに、驚いて身体を離す舞。
そんな二人の間にはらりと一枚、舞い落ちる小さな布きれがあった。
コーラルピンクに、花柄のレース。繊細な刺繍が施されたそれを、ジェリーが見間違うはずもない。ずっと見たい見たいとせがみ続けた女性ものの――おそらくは舞の――下着だ。
「ど、どうして?!」
舞は動転した様子で下着を拾い上げ、ジェリーをキッと睨みつける。
「もしかして……あなたが犯人なのっ?!」
激しく詰問されて、思わず鼻血も引っ込んだ。
「いいいいや、そんなまさか……ッ!!」
青ざめて激しく首を振りながら、身の潔白を主張するジェリー。
「じゃあ、どうしてこれがここにあるのよっ?!」
それを言われると、もう太刀打ちできなかった。
しかしながら、こちらに身に覚えがないのも事実である。
「そんなこと私に言われても……!!」
結局飛び出したのは、そんな情けない台詞だ。
舞は両眉を吊り上げながら、ソファの上のクッションを力任せにジェリーに向かって投げつける。
「出ていって!! さもないと警察を呼ぶわよ!!」
「ひぃぃ~~!!」
『警察』という言葉に恐れおののいたジェリーは、一目散に舞の部屋を後にした。
「くそぅッッ!! どうして私は、こうもツイていないんだッッ!!」
さようなら、めくるめくピンク色な夜。
こんにちは、いつも通りの冴えない毎日。
へろへろになりながら、ジェリーは逃げ場を探して走り続ける。
そんな彼をあざ笑うかのように、野良犬らしい獣の遠吠えが、アオーンと夜の町に響いた。
「もしもし――こちら花野舞」
アパートの室内。
そこには、さきほどまでとは全く異なる、硬質な声で何者かに電話をかけている舞の姿があった。
「作戦コードA失敗。――至急コードBに移行する」
必要最低限のボリュームに抑えられた話し声。
受話器の向こうからは、「ラジャー」と一言だけ、低い男の声が聞こえた。