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【小説第10話】たぬきからの脱出

「ええぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!」

 ジェリーは大声をあげてわなわなと震えだす。

「ここっここっこ、これは……?!」

 縋るようなまなざしでマスターを見上げると、彼は居た堪れないような表情をして、小さな鏡を差し出した。

「——とにかく、自分の目で確認するといい」

 その重々しい口調が、ことの重大さを物語っている。

 ジェリーは恐る恐る、自分の顔の前に差し出された鏡を覗き込んだ。

 ——丸々とした顔。薄茶色の毛。両目の周りをぐるっと囲んだ、こげ茶色のふちどり。

 ——それは、たぬきだった。どこからどう見ても、たぬき以外のなにものでもなかった。

「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!」

 ジェリーは再び大声をあげながら、自分の顔をあちこち触って事実を確認する。

 さらさら。もふもふ。ぷにぷに。ふわふわ。

 感触を確かめつつ、ついでにほっぺたを思い切りつねってみたりしたが、現実は変わらない。ほっぺただって痛い。

「どどどどうしてっ、私がっ、たたたたぬきに……っ?!」

 動揺のあまり小刻みに震えるジェリーに、マスターは沈痛な面持ちで尋ねた。

「お前さん、さっきまで自分が何してたか覚えてるか?」

 咄嗟のことで即答できなかった。

 どうやら目覚めるまでの記憶が少しあいまいになっているようだ。

「えーっと……たらふく飲んで、よっぱらって、それで……えっと、栄養ドリンク……?」

 そこまで言って、ジェリーは一緒に酒を飲んでいた親切な紳士が忽然と姿を消していることに気付いた。

「あれ? あのオジサンはどこにいっちゃったわけ?」

 ジェリーの不安げな視線を受けて、マスターは苦々しげな表情のまま続ける。

「悪い……。あのドリンクを飲んで、ジェリーがいきなり倒れたことに動転しちまってな……。気付いたらいなくなってた」

「ええっ?!」

 どさくさにまぎれて帰宅してしまったのだろうか。人一人倒れているのに?

 いや、そんなことをするような人間にはとても見えなかった。彼は非常に親切で……。

「——やられたな」

 マスターはそう言って鋭く舌打ちをした。

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