【小説第13話】たぬきからの脱出
「さ、散々だった……」
押されて揉まれて踏みつぶされて、靴跡だらけのジェリーが勤務先である市役所に辿り着いたのは、業務開始時刻から三十分ほど後のことだった。
「あーー……また望月課長にどやされる……」
ただでさえ万年窓際族として肩身が狭いのに、今月に入ってもう三度目の遅刻だし。しかも見た目はたぬきだし。
はあぁ〜〜、と重い溜息をつきながら建物の中に入る。するすると階段を上がって自分のフロアに辿り着くと、肩を縮こまらせながらデスクに向かった。
「——おはようございま〜す……」
一瞬同僚の視線が持ち上がって、こちらの姿をとらえた後に数秒で離れる。
ジェリーのたぬき化について突っ込みを入れる者はいない。
無関心というこの世で一番悲しい仕打ちに耐えながらデスクのパソコンを立ち上げるジェリーの背中に向かって、ためらいがちにかけられる声があった。
「——井上君……?」
望月課長が自慢の丸眼鏡をくいっと持ち上げながら、そう尋ねる。
ビクッと大きく肩を震わせながら、ジェリーは恐る恐る課長の方を振り返った。
いぶかしがるような瞳が、眼鏡ごしにじっとこちらを見ている。
「かかか課長! 実はワタクシ、史上最悪の大事件に巻き込まれてこのような情けない姿に……ッ!」
とにもかくにも説明だ。
たぬき化した事情を、できれば遅刻の理由に関連付けて話して同情を誘うのだ。そうすれば、さすがの望月課長も遅刻のひとつやふたつ、許してくれるだろう。
「や、そういうのいいから」
しかし、課長は無慈悲な一言でジェリーの言い訳を遮ると、ワイシャツの胸ポケットから取り出した手帳をぺらぺらとめくった。
「んーと、どこだったかなー」
首をひねりながらページをめくる課長は、何かを探しているようだ。
「——あ、あった」
不意にそう言って、人差し指で、ぴん、とそのページをはじく。
「井上君。きみ、今日でクビね」
手元の紙面に視線をやりながら、まるで「今日の夕飯、サバの塩焼きね」と言う時のようなあっさり具合で、望月課長は言った。