あの日から10年…今一度防災の見直しを!
こんにちは、実は岩手県出身のよしえです😊
先日、東日本大震災からちょうど10年を迎えましたね。
私は当時中学1年生で、岩手県の内陸にある中学校に通っていました。
当時のことをあまり話すことはなかったのですが、ちょうど10年の節目ですので、
ちょっとだけ思い出を語ろうかなと思います。
苦手な方はここでブラウザバックしてくださいね。
震災が起こった2時46分はちょうど掃除の時間で、4階の教室の掃除をしていました。
岩手県は元々地震が多い土地ですし、この震災の前にも何度か震度5以上の地震を経験していましたので、
揺れの体感で地震の大きさは何となく予想できるんです。
その時も「あ、これ結構やばい地震かも。」と簡単に予想が出来ました。
揺れが始まってすぐに机の下にもぐって身を守る準備をしましたが、4階ということもあってか、
机から体がはみ出てしまうほどのすさまじい揺れだったことを覚えております。
揺れが収まってから、生徒全員が先生の誘導に従って校庭に避難しました。
避難後も余震が何度も続いており、私のクラスの友達の中には、怖くて泣いてしまっている子もいました。
余震がある程度収まった後は、帰る算段が取れた生徒から順次帰宅ということになりました。
実は私が通っていた中学校は中高一貫校で、高校の部には3つ違いの姉が通っていました。
私がどうしたらいいか困っていたら、突然姉が現れて「よしえ、帰るぞ!」といって、手を繋いで一緒に帰ってくれたんです。
普段はあまり頼りない?というかへなちょこな姉なんですが、この時ばかりは、
「ああ、この人ちゃんと姉なんだな」と実感しました。
家に帰ると、家の中はもう予想通りとんでもないことになっていました。
自宅の食器棚は観音開きの戸だったので台所は割れ物だらけ、子供部屋はすべての本棚から教科書や
参考書がひっくり返り、足の踏み場もありませんでした。
断水はすぐに回復しましたが、停電は1週間弱ほど続きました。
私の祖父は防災をしっかりしている人だったので家に発電機があり、数日は豆電球を家中に張り巡らせて
しのいでいました。
周りの家を見ると自分の家だけ明かりがついていたので、祖父の防災力には本当に脱帽です。
いくら発電機があってもテレビをつけるのは難しかったので、情報収集はすべてラジオでした。
津波が来る、津波が来た、ということは聞いてはいましたが、この時はどれほどの被害があったのかは
想像もできませんでした。
震災から3日が立ち、発電機の調子を見ながらではありましたが、少しだけテレビをつけることになりました。
テレビをつけた瞬間の衝撃は、今でも忘れません。
テレビには、津波の被害にあった地域の様子がありありと映し出されていました。
本当に何もない。
家族みんなで絶句していました。
私が住んでいた地域は岩手県の内陸の方でしたが、津波の被害にあった地域とはかなり近いところに
住んでいたので、すぐ隣の地域ではこんなことになっている、という事実をなかなか受け入れられなかった
ことを覚えております。
あれから10年がたち、私も23歳になりました。
とても10年がたったとは思えないほど、当時のことは鮮明に覚えています。
私は被災者とはいえ、実際の被害は家が少しゆがんだとか、家の食器がたくさん割れたとか、そんなものです。
チープな言葉でしか表現できませんが、津波の被害にあった方々のつらさは私の想像をはるかに超えるでしょう。
先日の3月11日は就活でばたばたしており、2時46分ちょうどに黙とうすることはかないませんでしたが、
被害にあわれた方々のご冥福をお祈りいたします。
色々自分の体験を書かせていただきましたが、もし不快になられた方がいらっしゃったら、申し訳ありません。
もう10年もたってしまいましたが、決して、この震災のことは忘れてはいけないと思います。
静岡も、大きな地震が来るとずっと前から言われていますね。
この機会に、今一度ご自宅の防災を見直していただき、いざという時の備えをしっかりしていただければと思います。
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お子様やご家族と一緒に、防災の大切さを今一度実感していただけると嬉しいです。
いつもブログは楽しい内容になるよう心がけていますが、今回はしんみりとした感じになってしまいました💦
明るい内容だけでは語れないものもありますので、ご容赦くださいな。
ここまでの長文にお付き合いいただき本当にありがとうございました。
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